あれから6年3.11に想う
早いものであれから6年を迎えることになった。
あの日、TVの映像がまるで映画のワンシーンように生々しく映されて、「早く逃げて!」と叫ぶ声を押し殺し、涙を浮かべながら見いていた。
ただ茫然と見入るだけ! ・・・
その後福島の原発がメルトダウンするとは誰もが思わなかった。これには怒りが込み上てきた。地震は自然の災害はいつどこで起こるかわからない防ぎようのない災害かも知れないが、原発は事項的な構造物、その安全性について日本人のほとんどが安全なエネルギーだという情報を教え込まれていた。
生と死が一瞬に訪れ、運のいい人とそうでない人、ただ現実を受け止める事しかできないひ弱な現実に落胆するほかに手立てがなっかた。義援金や物資の搬送などお手伝いはしたが、一か月ぐらいは無気力で思考が止まったように思う
一昨日まで環境大国オーストリアに視察に行ってきました。
北海道ぐらいの小さな国ですが1972年から原発を建設開始しました。ちょうどそのころは第一次オイルショックの時代でエネルギー供給に原発は必要不可欠な物だと言われていた時代です。しかしオーストリアでは完成間近になった1978年保守系の自然保護団体やキリスト教関係者が反原発運動から国民投票になるわずかな差でツヴェンテンドルフ原子力発電所の稼働をさせなかった。
今では世界で一番安全な原発ということで有名になっている。
当然、原発や化石燃料に代わる代替エネルギーとして、再生可能なエネルギーにシフトしていく、水力、風力、地熱発電となるが、電気だけでなくバイオマスエネルギーの利用も先進的に進んでいるバイオマスを燃焼させ、発電だけでは24%と非効率だがお湯に熱を変えて供給すれば95%まで効率が上がる。といろんな地域で薪ボイラーやペレットボイラーが活躍している。 日本ではどうしても経済的な方を優先するがそれでは福島のようなことが起きてしまうようなことはあるだろう。なにせ人間がすることだから。
日本とオーストリアでは条件は異なるが、少しでも近づく努力をしなければならない。
でも近いところもある屋㎡の木材は豊だし日本全国に川は流れているなど、オーストリアにできて日本にできないことはないと薪ボイラー温水システムを開発した会社では日本への事業展開に意欲的だった。
福島の原発の事故よりも30年も前にオーストリアの人々は脱原発を選択したことが正しかった再認識している。その自信みたいなものは国民が決めたことだからだろうか、おおいに学びになる旅行でした。
永本建設 永本清三